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札幌地方裁判所 昭和46年(行ウ)20号 判決 1976年10月18日

原告 山内重三郎

被告 北海道郵政局長

訴訟代理人 小林正明 大井邦夫 ほか七名

主文

一  被告が原告に対し昭和四五年一月一四日付でなした懲戒停職処分はこれを取消す。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  原告は昭和二一年一二月二二日札幌郵便局(現、札幌中央郵便局)に集配員(現、事務員)として採用され、同三六年一月一日郵政事務官に任ぜられ、次いで同三七年一二月一日札幌豊平郵便局集配課主任を命ぜられて以来同局に勤務していたものである。なお原告はその間同四二年七月から同四五年六月まで全逓信労働組合(以下「全逓」という。)札幌地方支部豊平地区分会(以下「全逓豊平分会」という。)の執行委員であつたものである。

2(一)  被告は昭和四五年一月一四日原告に対し原告が同四四年一一月二一日に札幌豊平郵便局集配課事務室内において同局庶務会計課長(当時、以下肩書につき同様)扇子武雄に対し暴行を加え(以下「本件暴行」と称する。)加療約一七日間を要する左胸部打撲症の傷害を与えたことを主な理由として懲戒停職一〇月間の処分(以下「本件処分」と称する。)を為した。

(二)  原告は昭和四五年二月一四日人事院に対し本件処分につき審査請求をしたが、人事院は同四六年六月三日本件処分を懲戒停職四月間と修正する旨の判定を為し、同年七月頃原告に対しその旨を通知した。

3  しかし原告が昭和四四年一一月二一日札幌豊平郵便局集配課事務室内において同局庶務会計課長扇子武雄に対し暴行を加えた事実は全く存しないのである。

よつて本件処分は違法であるから、その取消を求める。

二  請求の原因に対する認否

請求原因事実1および2の事実は認める。

三  抗弁

1  事件の背景および経緯

(一) 全逓札幌地方支部豊平地区分会(当時)所属の全逓組合員のうち約二五名の者らは昭和四四年一一月一四日、非民主的闘争主義的な全逓とは訣別して、民主的労働組合を結成すると主張して、全逓豊平分会から脱退し、全日本郵政労働組合(以下、全郵政と略称する)に加入すると共に全郵政豊平局支部を結成するに至つた。

(二) これに対して全逓豊平分会は翌一五日以降連日にわたり「全逓を裏切つた者に対し裏切りの理由を問いただす」と称して、多数の組合員が一部の全郵政豊平支部組合員を取り巻き、当人の意思を無視して集団の威力を以て、「裏切り者」等と怒号、罵声を浴びせて話合いを強要し、右全郵政組合員がその場から脱出せんとすると、これを対し立ち塞がつて妨害する等といつた行為を繰返し、同局管理者においてこれを制止せんとするや、これに同様抗議をする外、庁舎内又は構内において無届の集会を開催したり、庁舎内に坐込んで同局長に会見を求めたり、更には庶務会計課事務室内に乱入して同局管理者らに対し集団による威圧を加えて話合いを強要する等して職場の秩序を著しく紊乱し、局舎内に異常な雰囲気を現出せしめていたものである。

(三) しかるところ全逓豊平分会所属組合員約三〇名は福田敏夫(集配課班青年部長)らの指導の下に昭和四四年一一月二一日午後四時過頃同局集配課休憩室において無届の集会を開催したが、福田敏夫が「昨日山田六雄全郵政豊平局支部長に話合いを求めたが、何も話してもらえなかつたので、今日は生出君(生出正男集配課主事、全郵政豊平局支部組合員)に聞こう」と呼びかけ、これに同調した約一〇名の全逓豊平分会組合員と共に、集配課統括係席に赴き、同所において偶々帰宅すべくその支度をしていた生出に対し、これを取囲み、「休憩室で皆待つているから話合いをしよう。」と執拗かつ威圧的に強要し、生出が「話合う必要がないから帰る」と告げて退庁しようとするやその前面に立塞がつてこれを妨害するに至つた。そこで同室内に居合わせた小黒諭集配課副課長が、右組合員らに対し右妨害行為を止めるよう説示したところ、右組合員らはこれを聞入れず、却つて小黒に対しこれを取巻き抗議する状態となつた。次いで木村章集配課長が生出の傍に赴き、同人に対し「生出君話合うのか。」と尋ねたところ同人は、「話合う必要がないから帰る」旨応えたので、木村も右組合員らに対し、生出の退庁を妨害しないよう説得したが、右組合員はこれを聞入れようとしなかつた。そこで木村は右組合員らに対し解散、退去命令を発すると共に、生出の腕を取り、同人を脱出させようとしたが、右組合員らはなおも身体で生出を押し戻したため、脱出し得なかつたものである。

2  原告の非違行為の存在

(一) 右の如き状況に引続き原告には左記(1)ないし(5)の非違行為があつたものである。即ち、

(1) 昭和四四年一一月二一日午後四時一六分ころ、小黒副課長が生出主事の右腕を、又中村正集配課課長代理がその左腕をとり、共に集配課統括係席と同課課長代理席の間から抜け出ようとしたところ、原告は一四、五名の組合員と共にその進路に立ちふさがつてこれを妨害した。

(2) 中村課長代理が次いで生出主事の右腕をとつて進路をかえて集配課長席と副課長席の間を抜け出ようとしたところ、原告は右一四、五名の組合員らと共に、その脱出を妨害するとともに前記中村課長代理らに対し、口々に罵声、怒号を浴びせかつ前記木村集配課長に対し「あんたらなんでかばうんだ、これで管理者が二組をつくつた証拠になる。馬鹿野郎」と暴言を浴びせ、同課長が原告に対し「君は主任だろう、それが主任の態度か」と厳しくたしなめたのにこれを無視して更に同様にして生出主事の退庁を妨害し続けた。

(3) その後、午後四時一八分ころ、扇子庶務会計課長が、集配課長席前付近の生出主事のそばに行き同主事の右腕をとり、また長内清庶務会計課課長代理が同人の左腕をとつて、それぞれ共に組んで同所から脱出しようとしたところ、新たに一四、五名の組合員が加わり、約三〇名の集団となつて同課長らを取り囲み、同課長らの再三にわたる解散退去命令に応ぜず、身体を割り込ませたり、激しく押したり、身体をぶつけたりしたが、原告はその際両手をコートのポケツトの中に入れたまま扇子庶務会計課長の前面に立ちふさがり同課長らに身体をぶつけたり押したりした。

(4) さらに、原告は午後四時二〇分ころ、やにわにコートのポケツトから右手を抜くや右手拳で扇子庶務会計課長の左前胸部を一回強く突いて暴行し、よつて同課長に対して左前胸部打撲症により加療約一七日間の傷害を負わせた。

(5) 原告はその後も、午後四時二六分ころまで他の多数の組合員と共に同局管理者らが生出主事を連れ出し退出しようとするのを前記同様にして執拗に妨害したり、罵言、暴言を浴びせた。

(二) 前項(1)ないし(5)の原告の各非違行為は、国家公務員法九九条に違反し、同法八二条一号および三号の懲戒事由に該当するものであつて、被告のした本件処分は適法なものである。

四  抗弁に対する認否

1の(一)ないし(三)につき

全逓豊平分会所属の組合員約二五名が昭和四四年一一月一四日同分会から脱退し、全郵政に加入すると共に全郵政豊平局支部を結成したこと、全逓豊平分会の組合員四、五名が同日午後四時過頃生出に対し話合いを求めたこと、小黒集配課副課長が、右組合員らに対し、生出の退出を妨害しないよう説示介入したので、右組合員らは小黒集配課副課長に対し抗議したこと、木村集配課長が右組合員に対し生出の退庁を妨害しないよう説得したことは認めるが、その余の事実は否認する。

被告は、昭和四一年浅見札幌郵政局長が赴任して以来各郵便局に中間管理者を中心とした親睦会等と称する組織を設置させ、全逓の組合活動に対する批判、敵対行動を行なわせるに至つたが、次いで主事、主任等昇任を目前にした中高年齢層の全逓組合員に対し個別的に供応、利益誘導等を餌に全逓脱退、全郵政加入の説得を行いかつ全郵政加入者を所謂良識者と称して昇任、昇格等において殊更に優遇、差別人事を行うと共に、他方全逓に対しては従来の慣行を一方的に破棄して、職場交渉の拒否、掲示物、ビラ等の規制、組合オルグの入構拒否、庁舎内職場集会の規制等がなされるに至つた。

豊平郵便局においても昭和四四年春頃前記親睦会が結成されたので、全逓豊平分会は以来右親睦会の代表者と話合いを重ねた結果同年四月頃両者間において、今後共右話合いを継続して行くこと、第二組合は結成しないこととの了解確認がなされたのである。しかるに前記の如く右親睦会所属の約二五名は同年一一月一四日突如として全郵政豊平局支部を結成したので、全逓豊平分会所属組合員らは右全郵政豊平支部結成の釈明を求めると共に被告の不当労働行為の存否の調査の必要のため前記生出正男に対し話合いを求めたものである。

2の(一)および(二)につき

2の(一)の(1)ないし(5)の事実は否認、但し、(1)のうち原告が被告主張の日時頃集配課内に居たこと、(3)のうち原告が被告主張の日時頃扇子武雄の前面比較的近い位置にいたこと、右扇子武雄他二名のまわりを全逓豊平分会所属の組合員約三〇名が取りかこんだことは認める。

第三証拠<省略>

理由

一  請求原因事実1および2については当事者間に争いはない。

二  <証拠省略>を総合すれば、以下の事実が認められ、前掲<証拠省略>中この認定に反する部分は採用しない。

(1)  全逓豊平分会所属の組合員である福田敏夫ら数名は、昭和四四年一一月二一日午後四時七分頃、豊平郵便局集配課事務室に赴き、生出正男集配課主事に対し、同人がかねて右分会から脱退して全郵政豊平局支部結成に加わつたことにつき話合いをするよう求めたが、出生はこれを断つて帰宅しようとするや、福田らは生出の進路に立ち並んで同人の退庁を妨げ、小競り合いとなつた。

(2)  同局集配課副課長小黒諭、同集配課長木村章らは、これを目撃し、直ちに生出の傍へ赴き生出から同人が右話合いを断わり退庁する意志であることを確認したうえ、生出の退庁を妨げていた福田らに対し、解散して生出を退庁させるよう呼びかけたが、福田らがこれに応じなかつたのみか、かえつて新たにその場に加わつた同分会所属組合員十数名と共に生出の外右小黒および木村を同課課長席と副課長席の間付近で取囲み、口々に右介入につき抗議し口争の状況となつた。

原告はこのころ偶々業務を終えたので使用の原動機付自動二輪車(以下バイクという)の鍵を生出に返しかつバイクの運行日誌をつける目的で同局集配課室に赴いたが、右紛争の様子を見ているうちに右抗議する全逓豊平分会組合員らの集団に加わつた。

(3)  同局庶務会計課長代理長内清はこの様子を目撃し、電話で同課課長扇子武雄に連絡したので、扇子武雄は、同日午後四時一七分頃庶務会計課室から集配課室へ赴き、同所に居た長内清とともに生出の傍に至り、生出の左側から扇子が、又右側から長内がそれぞれ生出と腕を組んだうえ、これを取囲んでいる前記集団に対し、「帰る者は帰しなさい。道をあけなさい。」と言いつつ生出を右集団から救出して退庁させようとし、統括係席と一班区分との間の通路方向を目指して進もうとした。

(4)  これに対し同分会組合員中沢邦彦が扇子の右前方に、又原告が左前方に、同分会組合員栗間敏男が長内の左前方に、夫々他の者とともに立ちふさがり、扇子ら三名をとり囲んだうえ扇子らに対し、交々身体で押付け、手で肩を押える等してその進行を妨げ、更に扇子らに対し大声で抗議を浴びせた。扇子らは、右とり囲んでいる同分会組合員らに対し数回にわたり、解散して生出を退庁させるよう告げかつその囲みを手で排して通り抜けようとしたが、かえつて三班区分棚付近まで前同様にして押戻されてしまつた。

(5)  しかるところ原告は同日午後四時二〇分頃にいたり、扇子に対し左胸部を右手拳で一回突出すようにして殴打して暴行したところ扇子が直ちに「山内君胸を殴つたな、暴力だ。」と大声で叫び、又長内が直ちに「四時二〇分現認する。」と叫ぶや、原告が「暴力ではない。」と叫び返し更に右組合員の間から「デツチ上げだ、管理職が暴力をふるつた。」等の声が挙つた。

(6)  扇子らは、やがてとり囲んだ右組合員らがひるんだ隙に一班区分棚と三班区分棚の間を通つてこの場から脱出しようとしたが、猶も右組合員らにより同様に妨害されたので、次いで更に課長席前から小包発着口へ走り抜けて漸く同所から脱出した。

ところで右原告の暴行により扇子は左胸部に傷害を受けるにいたつたが、その傷害の程度は、赤腫赤発等の外観的な異常は現れず、レントゲン診察によるも骨折等の異常も見出せず、ただ患部を圧すれば本人が痛みを訴えるという比較的軽いものであつて、せいぜい加療二日程度のものであつた。

(7)  なお<証拠省略>には、

(一)  原告の右暴行の当時、付近にいた豊平分会所属の組合員らは原告の暴行を目撃していないし、そのような気配さえも感じていなかつたこと。

(二)  右豊平分会においてはかねてから労使紛争に際して被告側管理者に対する暴行等の行為に出ると、被告から処分されるので暴行に出ることのないように十分注意することを申し合わせていたこと。

(三)  原告の右暴行の際には、中沢邦彦が扇子の前に立ちはだかつて両手でその両肩を押えつけて抱きつくようにしており、原告は扇子から一メートルくらい離れていたものであること。

従つて、原告は扇子を殴打するには困難な位置関係にあつたこと。

(四)  扇子は原告の右暴行の直後前記集配課室から構外まで勢よく走り去つたものであつて、かかる扇子の行動は暴行傷害を負つた者のそれとは思えないこと。

(五)  上村医師は、右原告の暴行の後間もなく扇子を診察したのであるが、扇子につき視診上何の異常もまた骨折等の傷害も認めておらず、もつばら高血圧症による急性心不全と診断し、その治療も高血圧症に対する投薬のみで、打撲症については特に何の措置もとつていないこと。

の部分が存するのであるが、右(一)、(二)および(四)、(五)を以ては未だ前示認定を覆えすに足りず、又(三)については、前示認定の事実と対比してたやすく措信できず、また中沢が扇子の両肩に手をやつて前面に密着していたとしても、もみあつて絶えず位置関係が動いていた状況からすれば中沢が常に扇子の前に密着していて原告が扇子に手を出すことは不可能であつたとは到底いえず、右(五)の点も、打撲症が全く存しなかつたものというのではないから、何れも前記認定を左右するに足るものではない。

原告の右暴行による傷害の程度の点については、高畑医師の診断書(<証拠省略>)、<証拠省略>中には全治一七日間を要する比較的重いものとの部分が存するが、高畑医師の人事院における供述内容(<証拠省略>)等によれば、同医師は本件暴行の翌日である昭和四四年一一月二二日と同月二九日に扇子を診察し、視診、レントゲン診察によるも外観上は赤腫、赤発、骨折等々の異常は認められず、ただ患部を圧すれば本人が痛みを訴えるということで前記診断を為し、治療としては抗炎症腫脹剤を与えて休養を命じただけであつたことが認められ、又、本件暴行直後である同月二一日夕刻に扇子を診断した上村医師の診断書(<証拠省略>)と同医師の人事院における供述内容(<証拠省略>)によれば、同医師は外観上の赤発赤腫等の異常や骨折等を認めず、本人の訴える苦痛は多分に精神的なもので以前からの高血庄症と精神的興奮があいまつた急性心不全(安静加療二日間)と診断して高血圧症に対する投薬をしたのみで、打撲症については特段何の治療も施しはしなかつたことが認められ、これに前示のような本件暴行直後の扇子の行動をあわせて考えれば、本件暴行による傷害の程度は、前記証人扇子の証言、高畑医師の診断書の如く全治約一七日間を要するものとは到底認められず、本件暴行による打撲症自体としては、せいぜい上村医師の診断書(<証拠省略>)程度のものであつたと認められる。

2 右認定した以外の被告抗弁事実記載の原告の非違行為については、原告が扇子らを取り囲んでいた集団に加わつていたことは当事者間に争いはなく、<証拠省略>にはこれに添うが如き部分が存するが、しかし右証拠は<証拠省略>と対比して未だたやすく措信し難く、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

三1  <証拠省略>によれば、全郵政豊平局支部が昭和四四年一一月一四日結成されるについては、同局管理者から全逓豊平分会所属の組合員に対し、全逓のいわゆる闘争至上主義を批判して全逓を脱退しいわゆる良識ある組合を結成するよう種々の便益を提供しつつ働きかけがあり、そのことが右豊平局支部結成の大きな原動力となつたこと、全逓豊平分会は全郵政豊平局支部結成を見るやその組織防衛のため直ちに全逓豊平分会から脱退して全郵政豊平局支部に加わつた者らに対し復帰を呼びかけるいわゆる説得活動を執拗に展開したこと、管理者側が右説得活動に対し職場秩序を混乱させるものとして制止介入し、これがため同局においては労使関係が紛糾し職場の混乱を来たしていたことが認められる。

2  そこで以上認定した諸事実をもとに本件処分の適法性について判断するに、原告には前示認定の限度で非違行為が認められ、これらの非違行為は国家公務員法八二条三号に該当し、かつ、右非違行為は明らかに組合活動としての正当な範囲を逸脱し、暴力の行使を含むものであつて、被告が何らかの懲戒処分に出るのはまことやむをえないところではあるが、本件処分の中心的理由となつた本件暴行については、前示のとおりそれによる傷害も加療約二日間程度の打撲症であつて比較的軽徴であり、従つて暴行自体も比較的軽度のものであり、しかも一回限りのものであつたこと、又原告は偶々バイクの鍵を生出に返すため同局集配課室内へ入つて来たことから本件の扇子らに対する抗議行動等に加わるに至つたもので、抗議行動等の中心的役割を果たしたとは言えず、しかも終始さほど積極的な行動をとつていたわけではなくむしろ附和随従していたものであること、しかるに中心的役割を果した中沢邦彦をはじめ原告以上に積極的行動をとつた者に対しては本件に関し処分されたという形跡は証拠上なく、原告は本件暴行のみを唯一の原因として処分されたと推認されること、および前示のような事件の背景等を考えあわせれば、本件暴行による傷害の程度が全治約一七日間と比較的重いものであることを前提にした原処分(懲戒停職一〇月間)が、人事院判定により全治約七日間の傷害と認定されたうえ原告が偶然に本件の抗議行動に加わつたこと等の原告に有利な事情を若千考慮されて懲戒停職四月間と修正されたものではあるが、なお本件処分は重きに失し、処分権者の裁量の範囲を逸脱した違法なものといわざるを得ない。

四  以上の次第であるから原告の本訴請求は理由があるのでこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 磯部喬 田中由子 千徳輝夫)

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